序章

「ぼうや、君の願いを一つだけかなえてあげるよ。何かあるかい?」
「ヘンシンしたい。キョダイカしたい。ワルモノをやっつけたい。」
「一つだけ…最後の一つだけかなえてあげるよ…」

 目を覚ますと朝の8時前だった。やばい遅刻だ。何か一つ願いを叶えてくれるんなら、今すぐ会社に連れてってくれ。瞬間移動とかワープとかで。
 大慌てでスーツを着て家を出る。しまった右の靴下が裏返しだ。
 俺は道中、遅刻の言い訳を考えながら、ときどき見るあの夢のことを思い出していた。願いが叶うんなら大金持ちにしてくれとかモテモテにしてくれとか、色々あるだろう。何が変身だ。変身で腹がふくれるか。巨大化は日本の住宅事情に逆行してるだろ。

 「おや、おはよう」課長が眼鏡の奥の細い目を光らせながら言った。
 「あのー、で、電車が止まりましてー・・・遅れました、す、すいません」
 「君の乗る電車は良く止まるんだねぇ」よくわからない整髪料で頭がテカテカだ。耳から一本だけ長い毛が生えているな。

 俺は課長を観察しながら、ねちねちと続く課長の小言を聞いていた。変身して逃げ出したい。いや、変身する必要は特にないか。10分ほどして、課長の顔にあるほくろでも数えてみようかと思い始めたとき、ようやく解放された。朝からテンションがさがる。

仕事するか。ワードだのエクセルだので小難しい書類を作る。パソコンを開いて受信ボタンを押す。100通近くメールが届いていた。
「その件につきましては…」「お打ち合わせの日程をお知らせします…」「御社の製品について質問があります…」
ちまちまとメールに返事を書く。書類を作る。電話をする。打ち合わせをする。そんなことを繰り返して、いつのまにか夜になった。
 「お先に失礼します」
 「お疲れ様、君は帰るのだけは早いねぇ」うっさいテカテカ頭。

途中でコンビニ弁当を買って、まっすぐ家に帰る。ちらかった部屋で流し込むように飯を食い、パソコンの電源を入れた。

 この俺のサイト、ヒーローサイドだ。日記とプロフィールと掲示板ぐらいしかない。かっこいいつもりで作ったのだが、黒背景に赤ブチの白文字ロゴはヒーローという雰囲気からはほど遠い気もするな。
 中身は俺から見た俺の日常が書いてあるだけだ。誰が見るんだそんなもん。ヒーローでもなんでもねえ。
 プロフィールをクリックした。
「工事中です」
 工事中ならわざわざプロフィールって書くなよ俺。とりあえず今日はプロフィールに名前でも書いておこう。

ハンドルネーム:ヒーローマン
特技:課長をやっつけること

 しまった、つい本音が出てしまった。書き直そう。

特技:悪者をやっつけること

 まあ、これでいいか。
 カウントは1023。多分、9割がたは俺自身だ。あとはきっと、間違えてこのページに来て、速攻バックボタンを押したとかそんな感じだろ。
 一応更新したし、今日はこんなとこで寝よう。

 何も見えない。全く光の存在しない真の闇ってやつなんだろう。その闇がぐぐっと一箇所に固まって人の形になったような気がした。
 気がしただけではない。前からそこに居たように黒いスーツの男が当たり前のように立っていた。顔は暗くてわからない。
「ぼうや、君の願いを一つだけかなえてあげるよ。何かあるかい?」
 これは夢だとわかっていた。ここで大金持ちにしてくれと頼んでみたい。
「ヘンシンしたい。キョダイカしたい。ワルモノをやっつけたい。」
 すでに決まっているかのように、俺の意思とは関係なく俺は答えた。俺は小さな子供になっていた。
「一つだけ…最後の一つだけかなえてあげるよ…」
 黒いスーツの男はそれだけ言うと、最初から居なかったかのように闇に消えた。
 代わりに小柄な別の男が背をこちらに向けて現れた。そして言った。
「君はよく変身するんだねぇ」
「す、すいません、巨大化してしまったもので」
 テカテカ頭の課長が眼鏡の奥の目を光らせながらこちらを振り返っていた。
 目を覚ますと朝の8時前だった。俺は大急ぎでスーツを着て、会社に向かった。




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